2011年11月29日火曜日

「そうさく的なものの明日に」本日初日

かれんの三週連続の企画展第二週目、「そうさく的なものの明日に」展は本日11/29(火)より12/3(土)まで開催しています。

展覧会にはかれんの通所者と作家会わせて40名(チラシでは38名)の作品を展示しています。サイズは8号程度が主です。作品の多くは今年描かれた(作られた)もので2011年という年をどのように過ごしてきたかということが作品に少なからず反映されていると思います。参加者みなさんかなりの力作揃いで小品展ではありますが見ごたえのある展覧会になっていると思います。是非足をお運びください。平日の日中はギャラリーのあるアートかれんの活動の様子も見学できます。

少し出展作品を紹介。


杉山直子さん作品



山本祐子さん作品



水島亜美さん作品



竹植耕平さん作品



門田光雅さん作品



「そうさく的なものの明日に」

 この展覧会に出展しているのは、かれんに通所し日々絵画制作に取り組んでいる方たち、それからかれんの人たちと展覧会を通じ交流を続けている作家の方たち、またかれんのスタッフが直接知っている、あるいは作品を知っていてかれんの人たちと是非一緒に展覧会をしてほしいと思い声をかけさせていただいた作家の方たち、さらには作家の方を通じて紹介していただいた作家さん、になります。

 8坪の小さなギャラリーに40名の参加者が集いそれぞれの思いをかたちにした作品を持ち寄る。一点々々は小さくなるもののそれぞれのヒストリーを感じさせるに十分の内容が揃ったと思います。

 展覧会のタイトルは人の手による創作活動が震災後、原発事故後の世界にも、以前と変わらず在り続ける、その大切さ、存在意義を確認したいと思い付けたものです。

 何かを作ること、それが結果として作品となる。もしくはその結果を前提として物を作る。いずれにせよ創作行為は作品を完成させることが(もちろん)目的ではなくその過程で何が起こるか、どんな気持ちを呼び起こすか、どんな出会いをもたらすか、どんな未知の作用を備ええるのか、ということこそが大切ですし、そのことをある程度感覚としてそれぞれの創作者がとらえているから続けられるものなのだと思うのです。

 とは言えかたちとして作品が残されると、その時の作者の思いはそのまま、もしくは受け止められる時代の感性で、未来へ伝えられることがあるでしょう。作品は残されることで先の世界と今の世界との関係が生まれるきっかけとなるのです。

今日、行われている創作的な活動を明日に届けたい、未来に伝えたい、と多くの創作者たちが思っている事を願って。そして、出来れば人々が暮らしていて毎日の幸福を感じられる世界を築く、小さいけれど一つの力となれるように。そんな気持ちでこの展覧会を組織しました。

(2011年11月29日 かれん 天本健一)

2011年11月26日土曜日

今年描いた絵、本日最終日



かれん秋の企画展「今年描いた絵」は本日最終日です。会期が5日間と短くそのぶん多くの方に見ていただける機会も少なくなってしまいましたが、17時まで開催しております。是非お願い致します。会場風景を少し写真で紹介いたします。
右から、荒井麻理子さん、高橋大輔さん、井上実さんの作品。




手前が佐々木貴子さん、奥が金井清香さんの作品。



荒井麻理子さんの作品、「しかくさんかくせん」(2011)。

今回の展覧会は2011年3月に起った大震災の混乱の中、そしてその後制作された作品を展示しています。以下かれんスタッフ天本が寄せた文章も掲載させていただきます。




「今年描いた絵」


 今年(2011年)3月11日の午後、毎年の行事である港北区作業所連絡会の交流会コンサートが行われていました。かれんのメンバーさんたち数人とスタッフも新横浜にある会場へバスを利用し出かけて行き、山形から来たパーカッショングループ演奏を見ていた時でした。会場席である、アルミ製のひな壇が左右にゆっくりと揺れ始めました。演奏者たちも一瞬マレットを持つ手を止め周りの様子を伺います。ステージ天井から下がったいくつもの照明器具が埃の落下とともに大きく揺れだすのを見て初めてそれは地震だ、と皆が気付いたのです。

 行き交う情報や繋がらない携帯電話に不安を感じながら、迎えに来てくれたかれんスタッフの車に乗り大倉山まで戻ります。途中の道では車はスムーズに流れてはいたものの歩道には歩いている人がたくさんいます。電車、バスなどの機関は機能していない様子です。到着した大倉山の商店街は特に変わった様子がなく意外でしたが、ただ夕日がやけにきれいだったのが印象的でした。

 続く余震や津波の映像、コントロールの利かなくなった福島の原子力発電所。いつ関東も同じような地震が襲ってくるか、食糧はどうなるかと、とにかく不安な毎日を過ごしました。

 被災地では何日もかけ徐々に救援物資が届き始めました。直接被災しなかった我々も義援金や救援物資に出来るだけ協力しながらも施設の運営や地震の2日前に移転オープンしたばかりの自然食品展の営業などにあわただしく動き回り、交通機関の状況や輪番停電のスケジュールに目をこらしながらメンバーさんの家庭とも調整しながらの毎日でした。

 一カ月、二か月が過ぎ、地震で亡くなられた方の数が新聞の報道で増え続ける中、施設の毎日も徐々に落ち着いてきてメンバーたちの絵の作業も震災前のようなペースを取り戻しつつありました。そして絵を描くことが自分達の仕事であり、それを続けていくことが自分達にとってはあたりまえなのだ、と感じさせるように作業に没頭しているメンバーさんたちの姿が見られました。

 同時にギャラリーかれんで毎年秋に行う企画展に参加してくださる作家さんたちもどうしているだろうと思い、地震直後から連絡を取りあっていました。被災地へは全国からボランティアをする方たちが集まり炊き出しや救援物資の整理、がれきの撤去などに関わってきているという新聞記事が毎朝載っています。画家の仲間でもボランティア活動に参加している人も何人かいたようでした。アーティストの方でも被災地でワークショップを開くかた、チャリティを行う方、現地へ行って何かしてくる(クリエイティブな事と結び付けるようなことを思索する)など。多くの試みがあり、これからも行われるだろうと思います。

 かれんメンバーさんたちはそれぞれの震災後を過ごしてきました。地震後の日常の混乱や変化は障害のある方たちにとっては想像以上に大変なことだったと思います。その中で絵を描くことがどのように作用していたのだろうか、と今もふと考えます。作家の方たちも大きな社会不安の中、何を今すべきなのか、と考え続け、日常を過ごし、仕事をし、作品を作り続けてきたのだと思います。今年描かれた作品はそういう意味でも特別な意味を持つようになるのではないかと思うのです。これから、来年も再来年も、今後も活動を続けていくために今年も描き続けた、それが大切なことだと思うのです。


(2011年11月22日 かれん 天本健一)