2011年8月3日水曜日

みどりの風展10おわりました。井上実さん「KAITEKIのかたち」

7月30日(土)を持ちまして「みどりの風展10」が無事終了いたしました。
ご来場いただいたみなさま、どうもありがとうございました。全体の来場者数としては少なめでして、これは展覧会の広報活動に手が回っていないとうことでもありまして(展覧会を開催するたびに反省しているのですが)どうすれば今後多くのお客様に見に来ていただける展覧会を開催していくことができるのかという大きな課題がいつもあまたの上にのっかっているのです。。
そしてそのあたりの能力の(努力も)少なさを長年引きずっています(個人的に)。う~ん、全国のアーティストのみなさん、展覧会の企画者のみなさん、障害福祉関係のみなさん、何かお力添えをお願いしたいです。

さて、参加したかれんの利用者のみなさんの作品は活動を続けていく中でより充実したものなっているようです。

前にも触れたと思いますが9年前の作品と最新作とを並べてもいい意味で変化がなく、でもよくみていると熟成度も感じられ作家として、人間としての人生の中での成長を感じられるようにも見えます。

今回、展示することでそのような変化を感じていただけるような部分もあったと思います。





メープルかれんの利用者さんは少し大きめのキャンバス(15~20号)を中心に出展作を準備してきました。大きい作品は描くのが大変、とう声もありましたが、同時に広いキャンバスにのびのびと描く姿を見ていると絵のしだいとのびのびとしてきて、結果的にいい作品が多くそろったように感じました。

販売のことなんかを考えるとどうしも買いやすいサイズ、家に飾りやすいサイズとなってしまっていましたが、今回は少しそのへんをあまり気にしないようにしてみて、制作を続けてもらっていました。もっと大きいサイズにも挑戦してくれそうな人もいますので今後も楽しみですよ。

ところでみどりの風展最終日の日に、ギャラリー当番をちょっと遅れさせてもらい表参道、スパイラルガーデンで開催されていた「KAITEKIのかたち アートと技術の化学反応」展に井上実さんの作品を見に行ってきました。

井上実さんはアートかれんの企画する「絵をかく人々の集い」やチャリティ展、「みんなのアート大集合」に参加してくださる画家の方でかれんの人たちの作品も気に入っていただき熱心に見てくださる、かれんファンでもあります。

今回の展覧会で井上さんが「大きい作品を出す」とのことで以前から楽しみにしていたのです。

井上さんは長年小品サイズのキャンバスを中心に制作を続け、その自分にとっての絵画の仕事、探求すべきこと、をひたすら描くことで考え続けている方です。

モチーフとなるのは植物、小さな生物(昆虫、蝶など)部屋にある小さな情景(静物というのではなく)など。井上さんの日々を大切にし、生活を続ける姿勢がその視線に集約しているよな画面で、その中にはひと筆々々が大切に、しかも慎重にキャンバスにおかれていきます。

それは、カサっとかあるいはペタっとかいう絵筆が画布にタッチする瞬間の音が、耳を澄ますと本当に聞こえてきそうな、あるいはキャンバスに薄く溶いた絵具が白亜層にすーっと染み込んでいくときにぱちぱちと小さな泡がはじけ、テレピン油が揮発していく現象が目にみえてしまうような、そんな画質を持った作品を作っているのです。

両腕で包み込むようなサイズの作品を多く制作してこられていましたが近年、そのサイズが徐々に広がっていき(20~30号など)最近では発表はしていないもののアトリエでさらに大きなキャンバスを仕上げているとうお話を伺っていました。

そして今回の展覧会ではキャンバスをストレッチせずにロールから出したまま描く、そのサイズはけっこう大きいと聞いていたため、おお、井上さん、すごい、大胆!と思いその作品を心待ちにしていたのです。

今回出展されていた作品は一点、サイズにすると80~100号くらいあるのでしょうか、画面の隅々まで野原で草が自由に生き生きと成長している姿を描かれているとてもよい作品でした(あまり力んだ様子の絵ではなくあくまでかろやかさが全体を支配しているようにかんじました)。井上さんの小さいキャンバス画を長く見続けていた人はまずこのサイズに驚かさせると思います。

展示されている小部屋には暗幕が引かれてあり絵を照らす照明は一定時間で明るくなったり、暗くなったりしています。照明が消えてしまうと部屋の内部は真っ暗になり絵がみえなくなるのですが、同時にぼうっと光る図像が浮かび上がってくるのです。

これはキャンバス上に蛍光顔料を用いて描かれた多くの蝶や毛虫、ななふしなどの小さな生物たちの姿なのです。展覧会のメインテーマとして掲げられているアート+化学を井上さんはここで積極的に自作に取り入れています。

ちょっと、その前にふれておきたかったのは井上さんの作品にとっての色の使われ方です。井上さんのキャンバス画ではタッチの変化の具合の振れ幅が非常に細かいという特徴があるように思うのですが、そのことが同時に色彩にも作用しているのと思います。

大ざっぱな説明ですが、パレット上に練った同じ色でもナイフで厚くキャンバスにのせたときと、かたい筆の先にちょんと付けた絵具を画布に刷り込むように擦りつけるのとでは色の見え方(発色、物質感)が当然違うとうことです。これは油絵具という技法の特徴であるキャンバスへあたる光の反射が目に届くときに、色として、図像として伝達していくということと関係があります。

井上さんの絵では光がキャンバスにあたり、それが見る人の目の奥に跳ね返ってくるというあたりまえの現象が色彩の置かれ方によって、非常にドラマティックに展開されるのです。そういう意味での色彩の大切さを井上さんの絵はいつも持っているのです。

蛍光顔料を使った、いわば第二の画面(ふたつはどちらかしか見えないわけではなくその中間、両方の図像が見える瞬間もあるのですが、その場合どちらもはっきりとは見えない)ではその"色彩"という問題がはっきりと切り落とされているように見えるため、今までの井上作品とずいぶんと違った性質を持っているように感じます。蝶、毛虫、ナナフシ、ヤモリ?が無色でタッチのみで描かれているのです。これはこの作品のおもしろさのひとつなんじゃないかな、と思いました。

そして、配置(構図)です。草の情景を描いた色彩部は一つの空間を描いているように見えますが静物の画面へ移行すると一つ一つの静物はそれぞれが別の空間にいてそれが集まったように見えます。草の風景の空間と静物たちの空間は異空間のつながりのように見えます。その移行する瞬間もちょっとおもしろいんですが。

感じたことの一つは作品を作るときのサイズの問題(サイズは絵の内容を方向づける力を持っている)について、かれんの人たちの最近の制作からも感じていたことと近いことが井上さんの作品にも同じようにあったということです。

でも作家のいい(おもしろい)仕事というのは捕えどころのない、謎の部分も同時に含んでいるからこそ興味をそそるとう面があります。井上さんの今回の作品もその意図が読み取れない謎の部分も多く、逆にそこがおもしろく、今後も楽しみに思ってしまうのです。

大きな震災後、絵を描くいうことが改めてどのような意味があり、また描くということによってどんなことが出来るのかとうい問題を考えます。でも考えたからといって、その問いに答えるような言葉が浮かんでくることもなく、もんもんと過ごしてしまいそうですが、多くの絵描きが震災後もいい絵を描き続けているとう事実が元気をくれる、ということを再確認出来たふたつの展覧会でした。